aki阿房列車のリベンジブログ

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〜連載〜過去日記(2003年7月上旬)

 まだリハビリ休暇中の出来事だったと思う。

7月1日

 今日は7時前に起床し、息子の登校とともに自宅を出て出勤出来るか行ってみる。
 定期券を持っていないので通常のルートとは異なるバスで向かう。始発なので座れるのだが、これが満員の通勤電車となるとどうなるかは体験してみないとわからない。バスで終点の東戸塚駅前に着く。会社の人と何人かすれ違うが気付かない模様。ここまでは特に体調の悪化もなく、駅近くの地区センターで午前中は試験勉強に充てる。勉強は予定通りはかどったが、緊張と疲れのせいか少しめまいを感じる。午後から病院に行かなければならないので、昼前に切り上げ帰宅する。途中から雨が降ってきたので、徒歩ではなく自宅近くまでバスで帰った。
 で、自宅に戻り病院に行く。耳の横のおできを取るために皮膚科に行ったのだが、局部麻酔のせいか痛みは麻酔注射を刺された時だけだった。けれども手術後から体がだるく感じ、寄り道もせず自宅に戻り安静に過ごしていた。ラッシュの電車に乗るのはまだキツイかもしれない。

7月2日

 今日は電車で行ってみることにする。実際通勤手段として利用するのは電車なので、昨日のようにバスを使ったのでは比較にならない。で、あえて混雑した電車を選ぶ。空いた電車では比較にはならないし、電車での体調も確認したかった。実際乗車してみると確かに混んでいるが、それほど苦痛には感じない。これならば通勤は大丈夫であろう。鉄道好きという趣味も幸いしたかもしれない。無事到着し、前日同様地区センターで試験勉強をしていた。
 地区センターは、図書館よりも規模は小さいが一応閲覧コーナーもあり、カウンターテーブルに向かいながら勉強は出来る。図書館の机・椅子に比べると心地はいまいちだが、それでも自宅で勉強するよりは落ち着く。1時間勉強し、その後休憩を入れ、午前中はそこで過ごした。会社の近くまで来ているのだから、会社に行ってもよかったが、あいにく上司が出張でいないので、行く理由もなかったので行かなかった。
 午後は自宅にいったん戻り、自宅に近い図書館で勉強をした。

7月3〜5日

 4日、7日(月)に行く予定だった病院に行く。特に症状が悪化したわけではないが、薬がなくなったので、薬をもらうようなもので診察に行った。診察を受けることが出来たので、近況を話したところ、先生が「来週から(半日で)復帰しましょうか?」とのアドバイス。これからまた忙しい日々が戻る不安と、人間らしいとは言えないけれども、普通の人と同じ生活に戻れるうれしさで半々だった。
 5日、資格検定試験(ビジネス実務法務)の仕上げで図書館で猛勉強した。総合問題(参考書の最終章)はまずまずの出来だったので今晩は体を休め、明日に万全の体制で挑む。
 それにしてもうちの家族と来たら、試験を翌日に控えているにもかかわらず、過度の緊張を煽るようなことばかりする。妻は「子供のために…」が口癖のように家事をしろとうるさいし、子供は小さいから仕方ないにせよ、邪魔ばっかりする。いまやサラリーマンとて一介の資格を持っていなければ昇給も出世もない今日この頃、努力する家族の長に、これでもかと邪魔する家族に辟易している。このときほど家族を「煩わしい」と思ったことはなかった。

7月7日

 今日は会社に行く。まだ正式な復帰ではないので勤務表では「欠勤」のままだったが11時半頃まで会社にいた。席につき、机の上にたまった資料を整理したり、PCの電子通達(メール)を確認したりする間に時間はあっという間に過ぎていった。
 10時を過ぎた頃、上司に近況報告をする。自己の体調、職場の様子などの情報を交換し、医師からの診断と自分の意思で、明日(8日)より半日(午前中)ではあるが職場復帰することが決定した。周りの忙しさに翻弄されやしないかという不安や今まで休んでいた後ろめたさもあるが、とにかく第一線に復帰出来る事がこんなにうれしく感じた事はなかった。周囲(同僚)の理解は得られないが、よき上司に恵まれた事が幸いし、1ヶ月以上の休暇を頂き休養出来たことに感謝したい。

7月8日

 5週間ぶりの会社復帰!(ただし午前中のみではあるが)。ただ、今日は助走ということでたまっていた資料の整理と緊急の仕事を処理するうちにすぐに12:00になってしまった。あっ!という間に過ぎてしまう時間…やはり会社のスピードにはまだついていけていない…あまりあせって、また再発しては元も子もないので、しばらくは自分のペースでいく。周囲が何やかやと言わず、無関心を装っているのもこれ幸いかもしれない。

7月9日

 復帰2日目、今日は朝礼当番だった。一応(1ヶ月以上)休んでいたことを詫びた。別に詫びる必要もないのだが、職場への「仁義」を通すための儀式だと思って、言い訳がましいことは言わなかった。下手に「自分を取り戻すことが出来た」とか言おうものなら反感を買うだけだと思ったから。それから、しょうがない事だが自分の病気をわかってくれない人(今の自分をわかってもらえないのを承知で職場復帰しているが)からは、機関銃のように仕事を頼む。昼休み前に部内のある課長に用件を言われあわてる自分…(自分のところの)課長は落ち着けといってくれたが、すぐ上の主任には「監査で調べられたら大変」とばかりに慎重に事を進め、昼休みをつぶして何とか乗り切った。
 こんな職場にいて生きていられる自分は「ある程度治ったのだ」と言い聞かせ家路につく。

7月10日〜11日

(10日)この日あった出来事は、今思うとぞっとするので書込みたくない。
(11日)昨日の出来事から一夜明けても、気分が安定しない。自宅を出て出勤するが、(あとで駅員さんに言われたのだが)通勤途中のホームでボーっと立っていたらしく、飛び込み自殺するのでは?と思われたらしい。自分自身もその時の事を覚えていないので何とも言えないが、無意識のうちに飛び込んでいたら…と思うとぞっとする。家庭でも職場でも追い詰められている自分。
 職場にいて仕事をしていても、足がしびれたり、激しい頭痛や動悸を感じだった。同僚の仕事の会話も脅迫や脅しに聞こえるほどだった。昼に病院に行き、医師からまだ当分の間の療養を要すると言われた(入院が必要とは言われなかった)。診察後、会社に戻り上司に報告する。今の上司は理解を示してくれるので、「半日勤務だからといって、まっすぐに帰宅せず図書館で一息入れたりしたらいいんじゃないか」とアドバイスをくれた。暗に11月の日商簿記試験勉強の準備と思ったが、家に帰って文句ばかり言われるよりはましだ。
 会社を出て、4月に会員になった近日オープンのフィットネスクラブの説明会に行く。自宅からも徒歩30分で行けるので、会社帰りや休日に利用して体力作りをするのも気分転換になるだろう。