aki阿房列車のリベンジブログ

最近はnoteというSNSをメインに活動しています。

悶々

巨大SNSの友人と会話(レス)を重ねているうちに思ったことだが、
自分って、
「君はどう思うか、どうしたいか」
「それでいいのか?」

が非常に苦手だったりすることに最近気づいた *1
(遅すぎるかもしれないけれども)
自分の子供時代(反抗期≒思春期も含む)は、
「親(広義では教師や大人も含む)」の言うことは絶対とか「素直に言うことをききなさい」とか果ては「死んでも知らないからね」と言われ育った自分は、親や大人・社会に肯定することしか出来ずに育ち、「自分」というものを喪失して大人になってしまったのではないか!と思う *2
いまさら愚痴を言っても、「自分が悪い」と言われ、負のスパイラルに陥ってしまうばかり。
おそらく、自分の「うつ病」の大元の原因はここにあるんじゃないか?って最近になって気づいたけれども、この歳になって変われるのだろうか不安になってしまう。
ちなみに、三週間前秋葉原で起きた無差別殺傷事件の犯人も他人ごとに思えない。
 
ある時、人に「○○(自分)は人に責任を押しつけている」と言われたことがあったが、
確固たる「自分」がなかったからかもしれない。
 
いまさら自問自答しても前に進むしかないけれども、
この歳になって治すことは出来るのだろうか?
通院している病院ではなかなか相談出来る時間がないので、今度近くの施設(ケアセンター)で相談してみよう。

*1:だから面接の質問にも言葉が詰まることが多いのかもしれない

*2:今は亡き尾崎豊の「卒業」を聴いて共感するのは、親や大人・社会への反発だったんだろうか